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THE STORY OF OWNER

早川少年〜もっとやんちゃ期サッカー編〜

今から30年ほど前・・・いわゆる「ヤンキー」に憧れている、やんちゃ族に所属している悪ガキ中学生でした。

たばこに始まり・・・服装・・・茶髪・・・

ただ、まだ多少は真面目な部分が残っていて、部活やバンドには一生懸命取り組んでいました。

当時、屈足中学校にはサッカー部がなかったので、バスケ部に所属していました。しかし、体育の先生が野球部の顧問で、肩のよかった早川に「野球部に入ってサードをやってくれないか?」と声をかけてきたのです。そこで「レギュラーで坊主じゃなければやってもいいですよ」と生意気発言。先生はそれでもいいと言ってきたので、中学校1年の夏休みが終わってから、特別に野球部に移動しました。

でも、どうしてもサッカーがやりたかったので、中学校3年の時に、小学校時代のサッカー連中(中学校1、2年になっていた後輩と同級生全員)を集め、全員の部活動を辞めさせて(半強制(笑))勝手にサッカー同好会を結成。

勝手にグラウンドでサッカーをやっていました。
当時、グラウンドにはサッカーゴールがなくても、サッカーの練習をして、夢中になっていました。
ある日、雷の鳴るどしゃぶりの雨の中でもサッカーの練習をしていると、校長先生がやって来て
「お前ら、こんなどしゃぶりで雷も落ちてるのになにやっているんだ!!!」と怒鳴り散らしました。

それから数日後・・・グラウンドには新しくサッカーゴールが設置されていました。(ええ話や。)

一方、クラブではクラシックギターをやっていて、中学校2年頃からバンドをやり始め、3年生頃には本格的にバンド活動をしていました。
当時DEEP PURPLEのコピーをしていて、「smoke on the water」ばかりやっていました。

ディ・ディディ〜〜ディ・ディディディ〜〜〜

早川少年〜もっとやんちゃ期ファッション編〜

当時の流行りだった髪型や洋服でオシャレすることが大好きでした。同級生にも近所のおばちゃんたちにも評判で「早川は町一番のシャレコキな悪ガキだ。」って。派手でしたね〜当時は(笑)北海道の田舎なのでそりゃ〜もう目立っていましたよ

また、中学校当時から朝シャンもしていました。マイ鏡台を持っていて朝シャン後に鏡台に向かって髪をセットをする毎日でした。

でも、それが「自分らしさ」であったと思っています。

他人とかぶることが嫌いだったのもありますね。小学生の時も「新発売のおもちゃは一番先に手に入れる」子だったので、「何でも一番先に」「自分らしく」という性分が幼い頃から備わっていましたから。

他人とかぶることをしたくない・・・他の誰でもない「早川弘幸」を形成する要素がサッカーやバンドやファッションだったのです。