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というわけで北海道中央理容美容専門学校に入学を決めた早川少年、美容科に進学するつもりだったのですが・・・
美容科は志願者が定員の3倍ぐらいいたらしく、理容科は定員割れだったため、優等生だった早川はそれだけの理由でよく分からず理容科に進学することにしました。(だって専門学校落ちたらブイブイ言わせてたのに、かっこ悪いじゃん。)
高校を卒業し新得町を離れ、単身札幌へ。心躍る、専門学校生生活のスタートを切りました。
そうして始まった専門学校生生活だったのですが・・・思い描いたように、人生は進まないものです。
ここで自分の不器用さを目の当たりにすることとなったのです。
とにかく、授業が苦痛で仕方ない。しかも勉強したくないがゆえに専門学校に行ったのに、なんと学科の勉強もあるのを行ってから気づかされました。
なんで床屋やってんのに、勉強しねぇといけねんだ??
本当に世間知らずだったんです。
案の定、学科もちんぷんかんぷん。実技も上手くいかず不器用な自分に気づきました。特にワインデイングの授業が苦手で苦手で・・・本当に大嫌いで仕方ありませんでした。
自分が明らかに回りよりも下手くそだったので、とにかくやりたくない! が先立ってしまいました。授業ではいつもモデル役に逃げる毎日だから余計に上達も遅い。
試験はなんとかその場しのぎをしてきましたが。
とにかく働いてからも暫くワインデイングを筆頭に、シャンプーもシェービングも全て苦手でした。
札幌の専門学校に通い始めた早川。
授業がものすごく嫌いで苦痛で仕方が無かったと同時に、もう一つストレスになっていたものがありました。
寮での生活です。
入学以来、早川は面接試験の時に決めてきた朝夜食事つき月38,000円の下宿所「登竜荘」に住んでいました。
しかし・・・やはり門限はあるわ、友達は入れれないわ、風呂はないわ共同トイレだわ食事も合わないわ・・・早川には全く合わなかったようで・・・
「やっぱり一人暮らしがしてーーーーー!!!!」と爆発(笑)8月に下宿所を出ることを決意。
引越し資金をためるべく、夏休みに地元に戻りアルバイトを始めました。
朝はゴルフ場、夜はスナック(オヤジのお店「スナックふらふら」)で働いてとりあえず出来るだけ貯金をし、親に「とりあえず洗濯機と冷蔵庫は自分で買うから、引越ししていいか?」と頼み込みました。
夏休みが終わって下宿と同じ1R 38,000円のアパートに引越しをしたのです。
札幌の裏参道という街でした。
専門学校は一年制で、正月明けには就職活動がスタートしました。
地元(帯広)か札幌か東京か。自分の選択肢は3択でした。
色々迷惑をかけていた両親。親孝行するには地元に戻るべきか?
このまま北海道の都心で働くべきか?
・・・いや・・・。
仕事をするならば、友達がいない東京が仕事に専念出来る。と思い、どうせなら最初に苦労した方がいい。
どうせやるんだったら、東京だべさぁ!! と決意。
決めたら誰が何と言おうと
「俺は東京さ行くべさっ!!!!」
さっそく進路指導の先生に相談をしました。
「お前の性格なら、大手より個人店の方が向いているだろう」
アドバイス(勝手に決め付けられ(笑))をいただき、学校に来ていた求人を見て板橋区の「リボン」という理容店へエントリーしました。
なぜか面接は無く、羽田空港でオーナー(マスター)に初めて会いそのままお店の二階に住み込み生活。いよいよ、早川弘幸の社会人生活がスタートすることになったのです。
普通ならば、東京生活を夢見るものでしょうが、自分はなぜか「苦労するだろうな」としか思っていませんでした。
多分、今も変わりませんが苦労を嫌だと思ったことがないんです。苦労するのが好き。なんだと思います。