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お店の上で住み込みをし、相性の悪いやつと共同生活が始まり、そいつとは喧嘩ばかりをしていました。
仕事もやはりなかなか成長できず、シェービングなんてほんとに出来なくて、自分の身体を使って何度もシェービングの練習をしました。
身体はひりひりするわ、あっちこっち切るわ。
シャンプーも手は動かない。いつも怒られてばっかりでした。でも、当時最も苦手だったワイニングは不思議と上手くなり当時からどうしても美容には興味があったせいか、お店の店長に自分だけパックシャンプーを教えてもらったりレディースカットを教えてくれていました。
ちなみに、床屋といえどもどうしても覚えたくない仕事があり、俗に言う「パ○チ」と「コテ」、それから「ス○ーツ刈り」とかは、どうしてもやりたくなかった。ので、練習はしませんでした。
そんな毎日を繰り返し一年半が過ぎた頃、当時高校時代から付き合っていた彼女に振られ今まで我慢していたことが爆発。苦労して東京に出てきた自分が馬鹿らしくなりました。
で、ぶっちゃけ喧嘩して辞めました。まだまだ若かったですね〜。
喧嘩をしてリボンを辞め、とりあえず地元に戻り約2ヶ月間はプーをしてました。
その時のオヤジの名言
「家は親任せ。飯も親任せ。お金も親任せ。車もガソリンも親任せ。う○こは便所任せ。」
というお言葉をいただき、さすがにこのままではあアカン!!と思い、プーにも飽き、自分もダメになると思ったので、東京時代に貯金をしていたお金を持って、とりあえず何も考えずに札幌に行きました。
とりあえず部屋を探さなくてはと思い、部屋を決め敷金礼金を支払ったところで、貯金が全て無くなったことに気づき、部屋は借りたもののどうしよう・・・
とりあえず単純に「飯が食えればいいや」としか思わず、食い物屋で働けばまかないは出るだろうと思い、昼は東急デパートのレストラン。夜はすすきのの「おが」という郷土料理屋で働き始めました。
ちなみに「おが」の面接の履歴書に「趣味=洗濯」と書き、紫のジャケットに当時は無かったダメージデニムを履いて(地元のおじさんには「ヒロ、ジーパンやぶけてるぞ。買ってやる」と言われたこともありました。(ファッションなのに・・・)田舎の人には衝撃的だったのかな(笑))まぁ〜その格好で面接にも行ってしまいました。・・・でもなぜかおがのマスターはオシャレだと思ってくださり、さらに趣味を「洗濯」と書いたためきれい好きだと思ってくださり、採用されたんです。
当時は交通費も無かったので、毎日「家⇒徒歩約30分⇒東急デパート⇒徒歩約10分⇒おが⇒約20分⇒家」歩いていました。
布団と着る物しかなく、冷蔵庫も洗濯機もテレビも一切ない生活で、約4,5ヶ月かけて少しずつ家のものを増やしていきました。
その頃、専門学校時代の友人が何人か「うちの店で働かないか?」と誘ってきましたが、まだ自信がなく断っていましたが、一人やたらしつこいやつ(今でも大親友のまっちゃん)がいて、毎日のように夜中に遊びに来て誘われてました。
しつこさに負けて、「バイトから始めるんだったらいいよ〜」と言ったら店長が「それでもいいぞ。」と言っていたらしく、ちょうどクリスマス頃にお店のクリスマスパーティーが札幌の「excing」というディスコがあり、そこでなぜか面接をさせられました。
こうして新札幌のグランに入社することになりました。
そこはちょうど美容室がメインの会社だったので、新札幌店も美容と理容が併設された店舗でした。
なので、ちょうど理容師をしながら美容に携われる環境で、当時美容の方の店長だった石黒氏と出逢い、美容師になりたい思いを伝え、相談していました。
石黒氏はその気持ちを解ってくださったのか、美容室が忙しい時にはよくヘルプに引っ張り出されていました。
それが楽しくてしかたなくて、美容室での雑用ですら楽しく時にはワイニングもさせてもらい、そこでさらに美容師になりたい想いが爆発寸前にまでふくれあがりました。
それと同時に、石黒氏の人として美容師としての魅力に憧れ、「こういう人になりたい」と思ったのです。
でも、同じ会社で理容から美容に移ることは難しく、免許も違うのでなかなか思い通りには行かず、ジレンマを抱えていました。
よって結局営業後の練習も全くせず遊んでばっかりいました。(まっちゃんと(笑))
約1年くらいが過ぎた頃、また外れた行動を取ってしまい、俗にいう副業をやり始め、また性格的にやった事は何でも本気でやる性格なので、そのおかげでグランも辞める方向になってしまいました。
そこでまた、何をやっても納得いかない人生を送りでもその中で気づいたことも沢山ありました。
もう一度チャンスがあれば東京に行きたいと思いもあり、さまよっていた頃リボンの店長が日帰りで札幌にいる自分に会いに来てくれたのです。
良い事も、悪い事も色々話をしましたがこれからお店を改装して若いスタッフも入ってくるので中堅として下の子を面倒見るのに来てくれないか?と言われました。
自分も東京に行きたいという想いと、自分を必要としてくれる事と、リボンのマスターたちにも大変お世話になっていたので少しでも恩返しが出来ればという想いと、野望としてそれをきっかけに美容へ進む想いがありました。
再度チャレンジした東京の環境が前とは全然違う、お店には相変わらずわがままを言って迷惑をかけましたが、生活自体は楽しくスタッフとも、仲良くやっていくことが出来ました。
ただ、まだまだ自分のいい加減な部分が・・・私生活がめちゃめちゃ。
そこで、身体を壊し、実家に緊急帰国させられたのです(笑)ちょうど23、4歳頃のことでした。男で言う厄年だったんですね。
でも、やはり美容師になりたい想いは変わらず、それを機に自分が美容師になりたい想いをお店のみんなに伝え、美容の方に進むことを決意。
リボンのマスターや奥さん、店長、スタッフの皆さん。
本当に迷惑をかけてすみませんでした。