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中学生の時から手がつけられなかったやんちゃ坊主が、高校入学と同時にすっかりおとなしく・・・
・・・なるわけありません(笑)
相変わらず、むしろ輪をかけてヤンキーをつっぱしっていました(笑)
本人は目立とうと思っているわけではないのですが、背が高いのでどうも目立っちゃうんですね、ファッションも大好きでしたからめちゃくちゃ着飾っていましたし。
そんなこんなで入学式から(とりあえず控え目のつもりで)短ラン・ボンタンを履いていって、見事に先輩に目を付けられました。「お前早川って言うのか?お前ちょっと早いんじゃねぇのか?」と言われましたが、意味がよく分からずそのままで登校すること数日後・・・
ボッコボコにされました(笑)そこで「ちょっと早い」の意味が分かりました(笑)
その後、より控え目な短ランとボンタンにしました。
それに、自分たちが高校生の頃はビーバップハイスクールのようなヤンキー全盛期でした。
我が新得高校は入学してみてびっくり、サッカー部先輩を見てびっくり、リーゼントとパンチパーマしかいませんでした。
自分もとっぽかったので、やたら2年や3年の先輩たちに目をつけられる毎日。
とにかく当時は先輩たちに意味もなくやられてました。しかも大人数でかなりボコボコにやられました。学校を辞めた先輩たちまでもが・・・でも、正直勝てる状況ではないのですが、何人いようとやる気はマンマンでした(当時は怖いもの知らずだったんで。)。
でも、ここは我慢して、手を出さない方がいいのかなという「我慢」を学びました。だから毎日体中傷だらけでした。それがとにかく悔しかった。「絶対こいつらにリベンジしてやる。」という気持ちはずっと持っていました。
でも、ヤンキー魂はさらに加速。そしてかなりグレまくりおかげで停学1回。無期停3回。普通は退学ですよね。
いい学校でした(笑)田舎の学校だし、校長先生が退学者を出したくないという想いがあったらしく、退学は免れ何とか3年間をやりとおしました。
で、なぜか悪い評判が十勝中の高校に知れ渡り、なぜか「新得高校の早川が調子こいてる」とウワサが回りました。
ちょくちょく、他の高校とチャンバラごっこもありました。
それから、授業中あまりにも暇なのでたまたま車で遊びに来た先輩の車に乗り、三人で他の高校に殴りこみに行った事もあります(笑)
そんな高校生時代も相変わらず勉強なんか大嫌いで、教科書は相変わらず一度も開かないという状態。「とことん精神」がものすごく強いんです。やるからにはとことんやる!やらないと決めたらとことんやらない!
だからとことんヤンキーしてました。
ヤンキーと同時に相変わらずバンドとサッカーは続けてました。
バンドは多少のメンバー変更もあり、学祭・クリスマスチャリティーコンサート・街のお祭りイベントなどかなりやっていました。
高校3年生の時に、どうしても帯広に進出をしたいという想いが募り、バンドメンバーをチェンジ。
ベースのかんちゃんとドラムのケンは中学校以来ずっと一緒にバンドをしてきた仲間。
そこにもう一人、他のバンドでギターをやっていた親友のテルを誘い、テルのバンドのドラムをしていたゴンをボーカルに引っ張りこみ「SUNRISE」というバンドを結成しました。
ここから、高校生主体のイベント活動に参加し、一発目は「洗濯船」というライブハウスで初ライブ。2回目にはトリを飾っていました。
こうして帯広のライブハウスで本格的に活動を展開していきったのです。
SUNRISEでは当時、高校生としては珍しくオリジナルをやっていて、ボーカルが上手かったのと、ドラムも十勝で3本指に入ると言われたくらい実力があって、なおかつステージアクションもけっこう派手にやっていたので、大人のバンドの前座にも誘われていました。
そんな早川少年も、気が付いたら高校三年生を無事(?)迎え、なんやかんやと将来を考え始める時期に差し掛かりました。
特に夢も無かった早川少年は、とりあえずどこかに就職しよ〜とぼんやり考えていました。
でも心の中では音楽関係で働きたいと思ってはいましたが、馬鹿な自分でも音楽で飯を食うのは厳しいと思っていました。
とにかく家は出たいと思っていました。甘えてしまうから。大人になりましたね・・・(笑)そして札幌で一人での生活がしたかたんです。
就職はなんでも良かったし、とりあえず働きたいな〜・・・と考えていた矢先の出来事です。
当時一番仲の良かった同級生に、専門学校の説明会に誘われて行くことになりました・・・そこで自分は「え・・・(小声で)専門学校って何?」と聞きました。
当時、進学に全く興味がなかったので専門学校の存在すら知らなかったのです。
そこで元々オシャレやファッションも大好きだったので、見つけたのが「ドレスメーカー学院」。「お、ここ行きたい!」とピンときたんです。
そこで、募集要項を取寄せて、試験を受けてきました。やんちゃだった早川少年も、ようやっと人生落ち着きを見せたんですが・・・
ドレスメーカー学院の試験を済ませ、帰ってきたときです。当時付き合っていた彼女の父親にこんな事を言われました。
「ヒロ、お前床屋でもやってみたら? 手に職つけた方いいぞ。」・・・みたいな・・・。
「・・・床屋?・・・床屋?ん?・・・床屋???いや、やるんなら美容師じゃねぇの????」
「え、おれドレスメーカー学院受けてきたし!」ととまどいも多少ありました。
でも、それと同時に元々ファッションが好きだったわけだし、中学のときから朝シャンをしていたくらい髪の毛をいじくるのも好きだったので「美容師・・・いいかもな。」とピンとくるものがありました。
そこで、早速担任の先生に相談へ。
「先生、美容師の専門学校受付間に合うべか?」
「ん〜そんなら北海道中央理容美容専門学校がいいんじゃないか?まだ間に合うぞ。」
「じゃ、それ。」
・・・というわけで、あっさり北海道中央理容美容専門学校を受験することに決定(笑)
卒業後働く予定が⇒ドレスメーカー学院⇒北海道中央理容美容専門学校
とわずかな期間であっさり変更となりました。(笑)